世界で唯一のグローバル刃物メーカーとして、知財功労賞・特許庁長官表彰などを受賞している貝印株式会社。
今回は、取締役 上席執行役員 知財・法務本部長 CIPO兼CLOの地曵慶一氏にお話を伺った。
【略歴】
■大手日用品メーカーにて約23年間に渡り知財・法務を担当、約7年間 部門長職を務めた後、2018年 貝印株式会社に転職、2022年より現職。新卒から一貫して企業知財に従事した「知財プロパーの取締役」として注目されている。2019年4月18日、知財功労賞・特許庁長官表彰を貝印として受賞。
知財との出会い
知財歴約30年になる私が初めて特許に出会ったのは小学生の頃、当時、父が新幹線の電話の機構を開発した企業に勤めており、その開発チームにいた方が我が家に遊びにきた際に「弁理士を目指したい」とか「特許は独占するもの」だとかおっしゃっていたのを聞き「弁理士って何だろう」「特許って何だろう」と調べてみたことがきっかけでした。おぼろげな理解でしたが「特許って面白そうだな」という興味を抱きつつ、大学は法学部へ進学。大学卒業後は、新卒入社で知財業務を自ら志望しました。まだ「知的財産」という言葉が世に出回り始めた時期でしたので、多くの企業では「特許部」と称していた時代、今でこそ珍しくも無くなってきましたが、当時は、夢も希望もある新入社員が最初から特許部(知財部)に行きたいと表明することは大変稀なことだったと思います。
なぜなら、当時は、知財業務はどちらかといえば日陰の存在で、研究、開発職を経験した人達の“受け皿”のような位置づけの企業が多く、表立って「知財に配属」と言うことが憚られるような時代でした。
従って、企業知財に従事する人の数も、営業や経理等に比べれば圧倒的に少なく、その点、“ニッチな職域の中で早くからトップに立てる確率も高い”ことにも魅力を感じました。
新卒で応募した企業は、当時の日本では珍しく特許訴訟を複数抱えており、人手が足りなかったこともあって、希望が叶い大学卒業後から知財人財としてのキャリアを歩み始めたのです。
知財開示の本質
2021年にコーポレートガバナンス・コードの改訂により、上場企業においては投資家を始めとするステークホルダーへの知財への投資につき開示が求められるようになりました。ステークホルダーの最たるものといわれる「投資家」へのアピール。
そのような確たる目的が発生したことによって、多くの企業が知財への取り組みとその情報開示について積極的に取り組み始めています。
一方で、弊社は非上場企業ですから、投資家に対する情報開示は必須ではないわけですが、それでも各所で知財活動についての開示やアピールを行っています。
それは、ステークホルダーのなかでも我々が最も重きを置いているのは、実は「社員」だからです。弊社の社員が様々な所で、弊社の知財に関する開示・露出を知ることで「うちの知財は役に立っている」「うちの知財はわが社の強みなのでは」と認知してもらえることで、知財戦略に対する全社的な理解・浸透が、早く、深くなる。それら知財戦略が奏功することで、結果的に、会社価値向上へ繋がると考えているからです。
弊社の知財戦略・知財マネジメントがうまくいっているとすれば、それは、このように最重要のステークホルダーを社員と考え、彼らの理解を得るための開示やアピールはもとより、彼らへ資することを最優先に考えているからだと思っています。
広がりつつある各社の知財の開示において、いったいどこまで社内認知されているのかわからないような聞こえの良いワークフローやコンセプトモデル、難解な分析・解析結果などを用いて、知財戦略や活用の姿を示そうとする向きもあるように感じておりますが、まずもって、身内である社員の多くが知財ならびに知財部門について理解し知財戦略を実践してくれているのかもわからない状態で、いくら「弊社の知財マネジメントは上手くいっております!」と声高に開示・発信されても、正直、説得力を感じません。
知財戦略が、まず最も身近なステークホルダーである「社員」に刺さる。次に、社員に刺さった知財戦略によって、会社全体として知財戦略に取り組み、結果、業績等にも反映し会社全体に資する状態となる。そして、その姿を開示することで、最終的に、投資家等他のステークホルダーにも刺さる、との順番が本来ではないかと考えております。
未だに低い、本当の意味での「知財認知」
もし日本の経営者の方々100人へ「御社にとって知財は重要ですか?」と尋ねたら、十中八九「重要です」と答えると思います。ところが、「具体的にはどのように重要ですが?」と尋ねた場合には、殆どの経営者は上手くは答えられないと思います。つまり、経営トップが理解できているレベルで、知財を経営資源として戦略的に活用している企業が多くあるのかといえばそうではない、というのが実情だと思っています。
本来、知財部門が目指すべき姿は、上述のように、全社員が知財の重要性や活用の姿を十分に理解している状態だと個人的には思っています。そうなれば、その状況を経営陣も知らないはずがなく、経営資源である知財そのものや知財人財をもっと活用しよう、登用しようとなるはずです。結果的に、その企業のいたるところで「知財」が練り込まれた方針や戦略が垣間見え、それらは、業績にも当然、結びつくはずだと思います。そうであれば、わざわざ投資家に対して「知財投資の情報開示」と銘打ってアピールする必要もないのでは、と思います。
「知財情報」として取り立てて開示しなければならない状況に至っているとすれば、ともすれば、日ごろから知財が認知され活用されている状態にないと言えるのかもしれませんね。
これに付随した議論として、知財出身者が役員(ボードメンバー)に就任している企業は日本ではまだまだ少なく、私が知る限り数社にとどまります。経営企画部や経理部からは当たり前のように取締役が出ますが、知財部ではそれがない。そのくらい知財自体が企業のすみずみに浸透しているとはいえないから、ということだと思います。
マーケティング×知財
弊社は年に一度、卸業者様やバイヤー様向けに「商談会」というイベントを行っています。本来は新商品の発表の場なのですが、商談会の企画担当より「知財部が実施している『商品価値化策®』を前面にアピールしていきたい、取引先にも浸透させていきたい」ということで、知財の取組をこのようなパネルに表し、ブースを作るなどして、知財戦略を取引先の皆様にもお伝えしています。
知財部門限りの閉じた取組ではなく、全社を挙げて取り組んでいる姿を、顧客や取引先にも情報発信していくことを、全社方針として行っています。
「商品価値化策Ⓡ」
『商品価値化策®』とは、この言葉も含めて弊社独自のものですが「知的財産部が商品企画の前の段階から上市までの全行程に伴走することで、差別化された技術価値・デザイン価値を関係部門と共に創出し、創出された価値を知財価値に高め(権利獲得)、それをパッケージや販促物などを通じて知財価値の魅力を余すことなく顧客にお届けする」活動と定義しています。
この活動のポイントは、「企画の前の段階」から参加することです。すなわち「何を作ろうか」という原石を考えている段階から、知財部門が入り込んでいるということです。
いわゆる「IPランドスケープ」によって得られる知財分析情報を、企画開発者達の頭の中が、まだモヤモヤしている時に発信していく。そうすれば、既存のアイデアを乗り越えた、差別化された商品企画が誕生する可能性が高まると考えております。
そこで生まれた企画自体を、開発者も関わりながら具現化していきますが、並行して、知財部門にて出願・権利獲得を一緒に行っていきます。そこでの特徴は、パッケージ上などでの顧客コミュニケーションやその後のプロモーションにおいて何を顧客に伝えていくのかを見据えながら行う点です。そして、プロモーションの段階では、獲得した知財権(=知財価値)を顧客価値へ高められるよう知財部門より顧客コミュニケーションのアイデアやプロモーションのアイデアを発信・協働しながら生み出していきます。
例えば弊社の「紙カミソリ®」で言うと、「世界初!」「プラスチック98%減」といったキャッチコピーにその活動の成果が現れております。獲得した特許権や意匠権など知財権が、それら表現のエビデンスとなっています。
特許公報など従来的な知財情報を顧客の皆様にご覧いただいても、“素人”には難解すぎて、どんな価値があるのかさっぱり伝わりません。これをいかにして顧客の皆様にも刺さるようにしていくか。このような観点を、企画の原石の段階からすでに議論しているのです。
こういった一連の取組を「商品価値化策Ⓡ」と称し、商標も取得した上で、現在われわれ知財部門の一番の柱となる活動と位置づけています。
「社内知財コンサルティング」
弊社では、出願権利化にまつわる活動やIPランドスケープの発信、販促物に関するプロモーションサポートなど、バリューチェーン全体における様々な知財活動をトータルで捉えた総体を「社内知財コンサルティング」と呼んでいます。
企画前の段階から、顧客の皆様へ届く上市段階まで、事あるごとに関係部署と共に知財施策を打っていく。このような統合的なサービスが「社内知財コンサルティング」なのです。
いわゆる従来型の知財業務を、我々は「受け身の知財」と呼んでいますが、そうではなく「能動的に入り込む知財」、言い換えれば「企画者の頭の中に入り込む」ことを重視しています。企画者達も、ひとたび企画を生み出してしまった後は、その企画に対して思い入れやプライドも生じますので、どんなに有益な発信を知財から行ったとしても、聞く耳を持ってはくれません。だから「前」のタイミングが重要となります。しかし、早い段階から入り込もうとしても、多くの企業では縦割り体制が弊害となるなど、なかなか入り込めない、こういったお悩みの声が、さまざまな企業から多数、私の元に寄せられています。その際の助言としては、「知財はサービス業」と捉え、社内顧客の満足のために「信念と勇気」を持って社内各所に入り込むべき、と後押しをしています。実は、我々も、長年、決まりきったプロセスを変えることなく、また、新事業や新商品などの提案も“的外れな提案だ”として他部署から揶揄・罵倒されることを恐れて「受け身の知財」をやって参りましたが、私の着任以来、事あるごとに“膝詰め”で話し合うことを心掛け、少しずつ「何か知財に相談すると有益なことを言ってくれる」との“利益実感”を持ってもらえる場面を繰り返すことで信頼を勝ち取り、やがて社内全体が我々の声に耳を貸すように変化してきた、と考えています。「経営に資する知財」とはよく言われる言葉ですが、そのために近道や秘策はなく、我々のような泥臭い活動の積み重ねしか途はないのではと考えています。
知財村からの脱却
従来より、知財部門は自分たちの間でしか伝わらない専門用語で話すなど、“村社会的”な側面を捉えて「知財村」と呼ばれることがありました。
例えば「異議理由を調べといて」とか「パリ優先に間に合わせて」など専門用語が飛び交い、他部署からわからないことを逆手にとって、“自分たちは専門家だ”と錯覚し満足していた、言葉が悪いですが、多かれ少なかれそのような認識でいたのが「知財村」なのです。
私は20代の頃から、そのような姿勢でいては他部署から置いていかれると感じ「知財村からの脱却」を自身の行動基準として掲げてきました。それが、前述の「知財はサービス業」との考えに繋がっています。弊社知財部門の方針としても、知財村から脱却した考え、言葉、情報を伝えいくべきであると、うちのメンバーへは常日頃から口酸っぱく指導しています。具体的には『So What(=だからなに)?』を常に考え社内発信していくことが重要です。例えば、「競合A社の特許出願増加」という情報だけを伝えても、わが社の経営にどのように影響するのかは見えてきません。
そこで、「競合A社の特許出願が増えた」→「(So What?)この分野の開発者を増やした」→「(So What?)A社はこのカテゴリを事業の柱にしようとしている」→「(So What?)ゆえにわが社は〇〇を行うべき」と、特許出願の情報から得られる経営・事業への影響を伝えれば、経営者にも響き、事業・開発責任者にも手に取るようにリスクが伝わるはずです。『So What?』で自問自答し、経営層や他部署へ伝わるレベルになるまで解像度を上げていく。これを常日頃から習慣的に行うことを、弊社知財部員への教育方針の柱にしています。
貝印経営層の先見力~商品開発方針「DUPS」
先述したような知財戦略を全社的に行うことができるのも、創業家4代目社長である遠藤(代表取締役社長 兼 最高執行責任者 (COO)遠藤浩彰氏)が、知財に対して並々ならぬ造詣の深さを持ち、また注力しているためです。
弊社社長は知財部員だけでなく他部署のメンバー達に対しても、会議時に「それって知財はどうなっていますか?」と問うなど、自然な流れの中で知財意識をリマインドしています。
この背景には、弊社の商品開発方針である「DUPS」が関係します。これは、Design、Unique、Patent、Story&Safteyの頭文字で、すなわち、デザイン性に優れ(Design)、独自性があり(Unique)、特許に値し(Patent)、安全(Safety)&物語性(Story)を有する、そうした商品開発を行うとの方針を掲げています。
この「DUPS」は、弊社経営層の高い先見力を表すものとして各方面よりご評価いただいております。例えば、『P(Patent)』についていえば、今から20年以上前、時の小泉内閣による「知財立国宣言」がだされた2002年は日本の「知財元年」と呼ばれており、日本全体がにわかに知財を意識し始めた頃ですが、実は、弊社はそれよりも前から「DUPS」を掲げ、知財を意識した商品開発を行っていたそうです。また『D(Design)』については、2018年に「デザイン経営宣言」が経産省から発信されており、他にも、昨今、「コトづくり」「ナラティブビジネス」など取り沙汰されていますが、それらは『S(Story)』に集約され得ます。弊社の「DUPS」は、そうしたビジネスコンセプトの一切を包含したような、ある種、最強の方針であると自負しています。
それを物語るエピソードとして、数年前に、特許庁の幹部クラスの方が弊社にご来社され「DUPS」の方針をお知りになられた際には、明らかに驚きを隠せないご様子でした。「我々(特許庁)が来社するから、それに合わせて作った標語なのでは?」とおっしゃるほどだったのが印象に残っています。
知財の話とはやや離れますが、弊社 経営層の先見力を示す他の例として、SNSマーケティング戦略やDX(デジタルトランスフォーメーション)なども挙げられます。現在では当たり前に各社が取り組んでいますが、弊社は十数年も前に取り組んでいるのです。必要になることを本能的に見極めた先見力を発揮しているのは、その発想の根底にDUPSがあるからではないかと感じます。
「DUPS」は現会長である遠藤宏治(代表取締役会長 兼 最高経営責任者 (CEO))の発案であり、4代目の現社長もしっかりとそれを受け継ぎ発展させようとしています。私は5年前に執行役員として弊社へ入社しましたが、当時の役職に基づくと、本来は重要会議のマストの出席者ではありませんでした。しかし経営層の知財への課題意識が高いため、知財に関する事柄も議場によく上がり、関係部署からの推挙も受けて重要会議に出席するようになりました。こうした環境も創業家の知財意識の現れの一つであり、また、私が全社的な知財マネジメントを行う上で良好な環境をもたらしていると考えています。
SDGsに貢献する世界初「紙カミソリⓇ」
「紙カミソリⓇ」はなんといっても「脱プラスチック」のコンセプトがわかりやすいことが最大の特徴だと思っており、どなたの目からもそれが一見してご理解いただけます。
「SDGs」や「サスティナブル」に取り組みたいと思いつつ、まだまだ先のことにならざるを得ないと考える経営者も世の中には多くいらっしゃいます。大がかりなプロジェクトになればコスト面もネックになりますし、小難しい内容など高度な技術を要するプロジェクトであれば二の足を踏まざるを得ません。
その点「紙カミソリ®」は、人々に身近な商品であり、かつ、わかりやすいコンセプトのため、サスティナブルを取り組む際の「最初の一歩」の手本のような存在としてご評価いただいております。「SDGsはこうやって取り組むんだね」「身近なものなんだね」と、弊社発で感じていただくことができれば、すばらしいことと感じています。
「KAIは模倣品を見逃さない」
バイヤー様など社外の方々には、上述の「商品価値化策®」のみならず、模倣品対策の取り組みについても発信しています。(後述のパネルのように)「ここまでワールドワイドにとり組んでいる」ことを示すことで、信用を勝ち取れると考えております。
「DUPS」の『U』(Unique)と『P』(PATENT)は、独自性と独占排他的権を表しますから、自ずと「Only1」の商品・技術・サービスの創造に繋がります。ですから、模倣品対策を行っている、ということは、裏を返せば知財権を有しているということになりますから、すなわち、世の中にたった一つ(Only1)を生み出していることの証としての側面もあると考えています。
模倣品・類似品が流通すると、消費者の皆様だけでなく、弊社を信用してお取引していただいているバイヤー様にもご迷惑をおかけすることになります。
そのため、「KAIは模倣品を見逃さない」という貝印としてのある種の“強さ”を示し、安心感を覚えていただくことで、知財が営業の後方支援をする形にもなると信じております。
その際、単純に端から模倣品を叩いていっているのではなく、顧客サービスの一環として戦略的に行っていることを営業部門と共に発信することで、お取引先にもご評価いただけるものと考えます。
実際、我々の模倣品対策チームは、営業部門を通じて、顧客からのお褒めの言葉も受け取っており、また、同時に営業部門からも感謝されています。
ところで、営業部門と知財部門は、多くの日本企業では接点があまり無いことが多いのですが、弊社は御礼をもらうくらい密接に関係・協働しています。そのことは、弊社知財マネジメントが会社全体に入り込んでいる証左であると自負しています。
貝印株式会社コーポレートサイト:https://www.kai-group.com/
取締役 上席執行役員 知財・法務本部長CIPO兼CLO 地曳慶一氏:https://www.kai-group.com/global/recruit/interview_31.html