人には歴史がある。積み重ねてきた時間がその人の人生であり、ストーリーだ。
知的財産、特許という言葉は一見すると、小難しくて聞いたことはあるものの拒否反応が起こりそうな言葉でもある。しかし人間の知的創造活動の成果を守り、経済及び産業の発展に対して貢献する弁理士はなくてならない存在であり、日本の守護神とも言える存在だ。
知的財産、特許、そして弁理士という職業に出会い、活躍しているビジネスパーソンから学ぶパテントストーリー。どんな歴史を作り、そしてどんな歴史をこれから作るのか?一歩先を行く、知的財産の賢者に話を聞く。パテントストーリー第1回目は正林国際特許商標事務所 所長の正林真之 氏にお話を伺った。
正林国際特許商標事務所所長・弁理士
日本弁理士会副会長 国際パテント・マネタイザー 特許・商標を企業イノベーションに活用する知財経営コンサルティングの実績は国内外4000件以上。
1989年東京理科大学理学部応用化学科卒業。
1994年弁理士登録。
1998年正林国際特許事務所(現・正林国際特許商標事務所)設立。
2007年~2011年日本弁理士会副会長。
東京大学先端科学技術研究センター知的財産法分野客員研究員、 東京大学大学院新領域創成科学研究科非常勤講師等を務める。
著書は「貧乏モーツァルトと金持ちプッチーニ」(サンライズパブリッシング)、「知的財産法判例教室」(法学書院)、「知的財産法判例教室グローバル版 米欧中韓」(経済産業調査会)、「会社の商標実務入門」(中央経済社)等、多数。
知財との出会い・きっかけ
大学院を中退したものの、当時は中途採用が厳しく資格など取らなければ会社に入ることが難しい時代だった。
理科系のバックグラウンドを活かせる職業は?と考えたときに、たまたま近くにあったのが弁理士だった。そのときは知的財産で国を良くしよう、なんて思ってはなかった。自分ができることを探したら、それが弁理士で上手くピースがはまったというのがきっかけだった。
時代の流れの中で知財に出会ったのは今を振り返ると、とても良かったと思う。今では「知的財産」は当たり前の言葉になったが企業では当時、特許部があり「知的財産」という言葉さえもなかった。特許が知的な財産で資産だ、と認識も概念もなかった。
知的財産という言葉が生まれてから風向きが変化した。言葉とは不思議なもので、それまでの特許のイメージが180度変わった様に思う。若い人たちが増えたり、知財に取り組もうという人が増えたりしてきた時代の流れをトレースすると、「知的財産」この言葉自体が非常に大事な発明だったのかもしれない。
ただ、特許事務所と呼ばれるように「特許」に固執してしまっている部分もあるので、我々が先導して知的財産を扱う専門家なんだとブランディングしていくことで、新たなステージも見えるのではないかと思っている。
やっぱり、名前は偉大ですから。
弁理士になり、事務所を立ち上げるまで
独立するまで、思い返せば遠回りしたかもしれない。会社に勤め、共同事務所をやって、跡取りをやり、居候をやり、最終的に事務所を立ち上げた。それまであらゆる経験をしたことが苦労と言えば苦労だけど、経験しないとわからないことだった。独立した32歳の時は、知財という意識が自分自身にもなかった。その意識を変えていくことは非常にドラマチックだったように思う。
知財というのは特許だけではなく、「企業のバックグラウンドにあってコアになるべき存在だ」と考えた。企業には守るべきものがあって特許や実用新案や意匠、商標、それらをまとめる知的財産が重要だと意識改革するには時間がかかった。これまでと違うことを言うのは気が引けるものの、特許=知財ではないということは今でも思っている。
独立は怖かったけどね、リスクもあるし。ただ逆境は人を育てるではないけど、得たものは大きかったように思う。
負のエネルギーをチカラにかえる
成功の秘訣は?と聞かれるのであれば「負のエネルギーをチカラに変えること」だと思う。悔しい思いは沢山してきた。何をやってもダメだと上から一方的に怒鳴りつけられたこともある。悲しかったけど負のエネルギーをチカラに変えてきたからこそ今がある。生意気なことも言ってきたから、嫌われることも多いし正直に言うと、敵も多い。でもそこで負けたくないという思いと切迫感を持って取り組むことが自分の経験となってきた。このスタイルはこれからも変わることはないだろうね。
儲かるための知財、知財のマネタイズを考えよう
知的財産、それ自体をマネタイズすることに対して日本人はもっと真剣に考えなくちゃいけない。言い方は悪いかもしれないけど、自分を守るためや、自己満足の為に知財を利用していませんか?と一度問うてほしいと思う。知財でマネタイズをしたいのであれば、儲かるために何を知的財産として保有するべきか、どういった活動をしているのかと見直す必要があるように思う。
儲かるためのビジネスを考えないということは、言い換えればお金を捨てていると同じで、いつか痛い目に遭うのではないか。マネタイズをするための知財活動、今一度みなさんに考えていただきたいと切に願う。世の中の為になることだけでは、お金は儲からないですから。
知財で儲けたいと考える前に、儲かるビジネスを作る方が良い。儲かるのであればそれを権利化すれば良いのだから、ユーザーの購買行動を考えてどこにお金を費やすのかを、まず理解するほうが大事だと思う。
好き嫌いは、大事
様々な仕事の案件があるように、人間関係も様々だ。付き合うかどうかを決める判断は、好きか嫌いかになる。その人のことを好きになれるか、そうでないかはとても、大事なことだと思う。実際に話してみて、もう一度会いたいな、会って欲しいなと思ったら、それは既にその人のことが好きになっている証拠。
採用の場合は、前提として長く付き合えるかどうかを考えている。更に「愛情と相性」を考える。長く付き合うからこそ、愛情は必要、その上で相性はどうか。仮に能力があったとしても、愛情を与えられる人物ではないと感じた場合は、長く付きあえないことが多い。だからこそ、目の前にいる方に対して、愛情と相性が持てるかを大事にしている。
誰と付き合うか、これは人生において非常に重要なことだと思う。
失敗から学ぶことと危機意識
記憶に残っている仕事と言えば、失敗したことばかり。有用な技術があったのだけど、世の中に広めることができなかったとか・・・そういうことばかり憶えているなあ。その中で「気づき」はあって、日本人は情報や知財に対してお金を払わないと弁理士は言うけど、それをやっているのは僕ら自身なのではないかと。
この流れは変えなくちゃいけない。知財はお金にならない、知識に対してお金を払ってもらえないと言う弁理士自身が原因を作っていることに気が付かないといけない。知的財産に対して近い存在になってしまったが故に、知的財産に対する認識が甘くなってしまったということかもしれない。
新しい発見や知財に慣れすぎてしまって、弁理士が価値を見誤ってしまっていることが今はとてもショッキングなことだ。
コロナ禍で改めて分かった大切なこと
コロナ禍によって知識の重要さはみなさんが気付いたのではないだろうか。間違いない情報を知識として使う事ができれば、対策すべきことと、しなくても良いことがはっきりする。知っているか知らないかで、とても大きな差を生むことが改めてわかった。コロナ禍によって知識の大切さを痛感したのではないかと思う。
ワクチン開発については置いておくとして、コロナと知財を紐付けて話すならば、もっとローテクな手法で新たな発明が生まれても良いと思う。例えば、うがい薬はまだ使いづらいし、より良い構造が出てきても良いのでは?と思う。そういった発明で救われる命もあるはずなので、必ずしもワクチンの開発だけが、知財という訳でもない。
これからの時代を生きるメッセージ
20年前と今を比較して同じ生活しているという人はあまりいないように、我々はまるで違う生活をしている。過去とは比べものにならない位、早いスピードで動く時代を生きている。
過去には知恵だけあっても財産がなければ評価されなかった時代が間違いなくあったことは確かだ。残念ながら、今でもその傾向があるように感じているが、私としてはそういった人たちの味方でありたいと思う。知恵さえあれば、それを財産として保有できることと、それを持ってしてマネタイズするお手伝いができるからだ。
人と違うことをやる人こそ評価される時代になって欲しいと願う。そういった人たちを後ろからバックアップするのが、我々の仕事の役割であり使命なのではないかと思う。
「出る杭ではなく、色の違う杭になれ」
これが、これからの未来を生きていく為に必要な考え方なのではないかと考えている。色の違う杭の方が、知的財産から見れば価値の高い杭なのだから。