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本田技研工業株式会社 別所弘和氏【知財部インタビュー】

企業で自社技術の権利化、知財活用に取り組む知財部の方々へ、普段の業務や企業全体の知財戦略についてお話を伺う「知財部インタビュー」の企画。

今回は、本田技研工業株式会社知的財産・標準化統括部長の別所弘和氏にお話を伺いました。

知財との出会い、これまでの業務について

大学では化学工学を専攻し、車とオートバイが好きでホンダに入りました。最初に特許課に配属され特許エンジニアとして仕事をはじめたのが知的財産との出会いです。配属された和光研究所で、自動車に関係する特許出願・調査、発明の発掘などに従事していました。

その後、2年間知的財産研究所に研究員として出向していました。この時にちょうど商標法・意匠法の改正があり、それに関係する委員会の運営を行いました。TRIPS(注1)の規定で2000年までに東アジア・東南アジア諸国が知財制度を改正する必要が出てきていたため、その改正動向を調査する業務を行っていました。

今でもアジア諸国は知財の保護が弱いといわれますが、現場に行くと知財の訴訟や実務に携わった経験のある人材が少ないことをより実感しました。

知的財産研究所からホンダの知財部門に戻った頃、ちょうど同時期に増加していたアメリカの知財訴訟の対応をしていました。同じころ、中国・東南アジアでの二輪の模倣品が増えまして、現地に行った経験から訴訟の担当として名乗りを上げました。これらの訴訟では後で苦労をしまして、そんなに物事は簡単ではないことを思い知りました。

一番勉強になった訴訟

中国駐在時代に解決になったオートバイの意匠権侵害訴訟が一番勉強になった訴訟です。90年代の終わりごろ6年ほどかかりました。意匠権侵害の訴訟を提起したら相手方の無効審判(注2)が認められてしまいました。中国は意匠が無審査国なので類否判断(注3)で先例がほとんど蓄積していないなか、意匠が無効になってしまったのですね。

さらに審決取消訴訟(注4)に進んでそれも負けました。

同時期にヤマハさんが商標訴訟で勝訴をしたため、新聞で「ヤマハが勝った、ホンダが負けた」と取り上げられてしまい担当役員に呼び出されて叱られました。二審で逆転勝訴したのですが、中国での裁判の戦い方も含めてかなり苦労した裁判だったと思います。

中国の裁判では専門家のオピニオンや、他国の審判決を証拠として採用しない傾向があります。知財の法制度は国ごとにほとんど違いがないのがグローバルスタンダードですがそうではない。欧米とは異なる環境であることを考えて対応しないといけないですね。

また、中国で事業を行い地域経済に貢献していることを理解してもらうことも大切なため、訴訟になった時には現地の合弁パートナーに協力してもらったり、場合によっては共同原告となることあります。

管轄を適切に選ぶことも大事です。同じ中国でもより有利な管轄を選ぶ、例えば国際的に注目が高い北京などを一審管轄にするということを考えます。

現在の業務について

部長に就任した当時、知財の機能は二輪・四輪・汎用と各領域に分散していたため、それを一つにまとめ、さらに知的財産を標準化してそれを使う機能を加え、知的財産標準化統括部を作りました。そこで知的財産や標準化のマネジメント全般、具体的には知財戦略やそれに伴う施策の方向付け・評価を行っています。また、知財部門のトップはどこの会社もそうだと思いますが、他の企業や政府機関と面談・交渉を行う知財の渉外業務も担当しています。

知財部門以外では、ビッグデータの取り扱いに関する全社組織の責任者として各部門の意見を取りまとめる業務も行っていますね。

ホンダ社外での活動も積極的に行っています。 一つは日本自動車工業会の知的財産部会の部会長です。知財制度のあり方について部会メンバーの経験や参加者の意見などを取りまとめて国内外に発信しています。

他の業務と毛色が違いますが、複数の大学・大学院の客員教授もお話があれば積極的に引き受けています。知的財産の一般論というよりは、具体的な仕事を紹介する授業を行っています。学生に教えるというのはホンダの知財戦略を取りまとめてロジックを整理し伝えることなので、業務にもいい影響を与えると思っています。特にMBAなどは受講側も実務経験があるため鋭い質問が飛んでくるので大変勉強になっています。教えているというよりも教えられると思うこともありますね。

自社での特許活用

ホンダの知的財産・標準化統括部では、知財を自社製品に採用したり、自社の事業を知財で守るというのは当然として、獲得した権利をライセンスするとか、知財権侵害に対する権利行使を部員自らが実行・行動するということを方針としています。

知的財産や標準化それ自体はあくまでも手段で、それを通じて世の中をよくすることが目的のはずですので、知財部員には、「自ら知的財産や標準化技術を賢く活用する手段がないかを考えて行動すること」を推奨しています。

こういったことの波及効果かもしれませんが、ホンダの知財部では知財業務そのものが創造的になってきていると感じています。特許の残存年数や活用状況から、年金の納付の要否をAIが判断するシステムや、「K-method」と呼ばれる新事業やアライアンス、直接財・補完財によるビジネスモデルを探索可能なIPランドスケープのソフトウェア、「YGイノベーションファシリテーター」という知財の創出・発掘マネジメントを行動科学から体系化したものなどが部門内で次々に開発・創出されました。ですが、この中で私が作れと指示したものは一つもなく、全て部員たちが自主的に開発しています。

「K-method」は今後社外に提供予定ですが、アウトプットされる図を読み解く必要があるため、パートナーと共に利用を支援するサービスを提供予定です。実際につかっていただけると納得していただけると思います。

「YGイノベーション」についても同様です。開発初期段階でビジネスモデルを決定することは、エンジニアにはできそうで難しいんです。YGイノベーションは「この技術をどのように製品やサービスに活かすか」ということが体系的にわかるソリューションになります。

外部との知財連携

①アレルクリーンプラス

アレルギーの対策に加えて抗ウイルス加工を施した自動車用のシート生地です。自動車用の素材というのは非常に耐久性が高く高性能なので、内田洋行様にオフィスチェアのクロスとして活用していただくなど、自動車以外での活用が広がっています。

技術を他社で利用していただくにあたって私が推奨しているのはいわゆる「技術の転用」です。異業種で技術を使えば競合となることはないですから、自動車以外の分野で使えるものがないのかを考えます。今回の技術活用もホンダの知財部員が転用の可能性を発見したことがきっかけなのですが、シート生地をシートに使うのですから探索としては比較的容易かと思います。

部内では、アンゾフのマトリクス (注5)の4象限を思い浮かべて、既存技術を新市場に持ち込むという発想を何でもいいからたくさんやりましょうと言っています。

世の中を豊かにするものはなにも車だけではないのだから、使えるものはお使いいただくのが大事だと思っています。しかし、異業種ですとどんなニーズが相手企業にあるのかホンダでは把握できない。そこを理解して技術の提供を行う、そういう感覚を身に着けるように行動することを知財部員には求めています。また、他社の方にも広くホンダの技術を知ってもらえるように、ウェブ上にホンダの知財情報を載せることなども行っています。

➁ナイトビジョン

夜間、人間には見えづらい歩行者の存在をとらえる自動車の予防安全にかかわる技術です。ノイズの少ないカメラと検知の際にノイズになりやすいシチュエーションをソフトウェアでコントロールして「人物である」ということを判断できます。

これを防犯カメラや定点カメラの精度を上昇させる技術として使えると考えました。ところが、そのまま技術を提供すれば良いかというと、そのままではなかなか活用が難しいものもあります。そこでナイトビジョンに関しては、スワローインキュベート様と協業し、技術を活用しやすいAPIやSDKの形にして提供する、ということをやっていただいています。これもホンダの自動車技術を一つ「料理」すると社会の役に立つ技術にできる事例です。

➂摩擦攪拌接合技術

鉄とアルミをあわせて、その上から大きな力をかけながら回転ツールを移動させて、金属どうしをくっつける技術です。溶接するよりもずっと強度が高く、軽量なフレームができます。異なる金属を接合する技術でも強度がもう少し低いものならばあるが、このレベルのものは貴重です。自動車の骨格という強度が必要な場面で培った技術なので、産業用ロボットメーカーや車両フレームを組む企業にも供給されているような技術になっています。

今申し上げたような事例で、自社以外に活用できる技術の提供を行っています。 自動車の技術は一般に耐久性やコストの低さが求められるので、転用がしやすいとは考えています。そうは言ってもあくまで自動車専用の技術なので、技術を一般化できるようなステップを踏むとより利用がしやすくなりますね。

オープンイノベーションについて

COVID-19の対策支援宣言特許をはじめとして、技術は、社会的にいかに役に立つかが重要だと考えています。しかし、社会問題の解決のために使える技術がないかを考えても、ホンダは自動車やオートバイを生業にしている以上、発想がそこに閉じこもりがちになります。一方オープンイノベーションは相手さえ了解すれば発想が広がってきます。

したがって私達が考える「オープンイノベーションになりそう」という技術があるとしても、それはあくまで私達からの視点ですので、オープンイノベーションについて特定の技術があるとは考えていません。ホンダの技術をシーズとするオープンイノベーションというものがあるとすれば全ての技術が対象となりうると考えています。

技術は開発するだけでなく実際に活用していくことが重要なので、ホンダとしては積極的に進めたいと考えています。

過酷な条件をクリアしている自動車技術はいろいろな分野で広く使うことができると思っているのですが、それを自動車屋だけで考えてはいけない、考えない方が世の中を豊かにすることになると思います。ホンダの頭で考えるとどうしても「自動車」が滲んでしまう。

ですが、ホンダは「本田技研工業」という社名です。本来自動車以外も事業にできるはずです。知財は技術の塊で活用するには扱いやすい手段ですので、我々が技術の活用、オープンイノベーションを進めるのはいいことだと思っています。

今後の自動車事業・知的財産の展望

我々はいま第4次産業革命の中にあります。これは全ての産業が互いに連携していく、つまり知的財産やデータが今まで以上に活発に流通し、管理の対象となる特許の件数や対象当事者が爆発的に増加することになるわけです。

したがってこの30年の知財の取引形態、すなわちパテントプールといったシステムでは、これからは処理しきれなくなるだろうと考えています。 新たな技術を使った知財のエコシステムが必要だと考えており、しかるべきところで提案していきたいと考えています。

知財業界を志す方々へ一言

より良い世の中にしていくためには新たな技術を効果的に生み出す仕組みである知財制度をうまく生かすことが大変重要です。社会問題の解決に中心的な役割を担える業界-自動車業界もそのうちの一つだと思います-の知財業界で皆さん一緒によい仕事をやっていきましょう!

お知らせ

私達ホンダ知財部はグローバルのANAQUAという知財の管理基幹システムを日本企業として初めて導入しています。これは、年に2回ユーザーの多数決で機能実装の可否を決める民主的なシステムなのですが、特許法35条(職務発明)対応など日本独自の機能を実装するために我々の仲間を増やしていきたいです。気になった方はぜひ使っていただければと思います。


(注1)TRIPS:著作権などの知的所有権保護の基準等を定めるWTO設立協定の付属文書のこと

(注2)無効審判:登録済みの意匠を無効にする手続。日本では意匠法48条に定めがある。

(注3)類否判断:意匠が既に登録されている意匠と類似しているかどうかの判断。類似していると判断されると後から登録した意匠が無効になる。日本では意匠法3条1項3号の該当性を判断する。

 (注4)審決取消訴訟:行政の判断(今回は意匠の無効)を不服として取消しを求める訴訟。日本では特許庁の審決に対し訴訟を提起する(意匠法59条)。

 (注5)アンゾフのマトリクス:アメリカの経済学者イゴール・アンゾフが提唱した企業の成長戦略の考え方。製品と市場をそれぞれ既存・新規に分割した2×2のマトリクスを用いる。